シルミウム (Sremska Mitrovica)
シルミウム (Sirmium)はローマ帝国パンノニア地方にあった古代都市である. 現在のセルビア共和国西部、スレム郡の郡都スレムスカ・ミトロヴィツァに当たる.
紀元前1世紀にイリュリア人の街をローマ人が征服したものを起源とするが、後に発展し、パンノニア属州の経済的中心地となり、さらに古代末期にはローマ帝国の四つの地域のうち一つの地域の首都となった.
紀元後1世紀にローマ植民市に昇格し、103年にパンノニアが上パンノニアと下パンノニアに分割されると、下パンノニアの首都となった. 296年、ディオクレティアヌス帝がパンノニアの再編成を行い、旧来の2属州を4属州に改めるに伴い、パンノニア・セクンダの首都となった.
293年のテトラルキア開始にともない、帝国の行政区画が4つに分割されると、アウグスタ・トレヴェロールム(トリーア)、メディオラヌム(ミラノ)、ニコメディア(イズミット)と並び、シルミウムは4つの地域のうち一つの地域の首都となった. テトラルキアの間、シルミウムはガレリウスの首都であった. また、318年から379年まで、イリュリクム地域の首都となった. 379年に、イリュリクムは2つに分割され、シルミウムはイタリア地域に帰属させられた.
4世紀以降、シルミウムはキリスト教の活動にとって重要な場所となった. シルミウムには主教座(司教座)がおかれ、5つの教会会議が開催された. またシルミウムには皇帝の宮殿が置かれ、街は繁華を極めた.
4世紀末に、シルミウムはゴート族にいったん占領され、そののちふたたび東ローマ帝国に帰した. 441年に、フン族に占領され、そのあといくつかの蛮族によって支配された. 567年、再度東ローマ帝国に編入されたが、582年アヴァール人に占拠され、破壊された.
シルミウム生まれのローマ皇帝は6名いる.
* デキウス(249年-251年)
* アウレリアヌス(270年-275年)
* プロブス(276年-282年)
紀元前1世紀にイリュリア人の街をローマ人が征服したものを起源とするが、後に発展し、パンノニア属州の経済的中心地となり、さらに古代末期にはローマ帝国の四つの地域のうち一つの地域の首都となった.
紀元後1世紀にローマ植民市に昇格し、103年にパンノニアが上パンノニアと下パンノニアに分割されると、下パンノニアの首都となった. 296年、ディオクレティアヌス帝がパンノニアの再編成を行い、旧来の2属州を4属州に改めるに伴い、パンノニア・セクンダの首都となった.
293年のテトラルキア開始にともない、帝国の行政区画が4つに分割されると、アウグスタ・トレヴェロールム(トリーア)、メディオラヌム(ミラノ)、ニコメディア(イズミット)と並び、シルミウムは4つの地域のうち一つの地域の首都となった. テトラルキアの間、シルミウムはガレリウスの首都であった. また、318年から379年まで、イリュリクム地域の首都となった. 379年に、イリュリクムは2つに分割され、シルミウムはイタリア地域に帰属させられた.
4世紀以降、シルミウムはキリスト教の活動にとって重要な場所となった. シルミウムには主教座(司教座)がおかれ、5つの教会会議が開催された. またシルミウムには皇帝の宮殿が置かれ、街は繁華を極めた.
4世紀末に、シルミウムはゴート族にいったん占領され、そののちふたたび東ローマ帝国に帰した. 441年に、フン族に占領され、そのあといくつかの蛮族によって支配された. 567年、再度東ローマ帝国に編入されたが、582年アヴァール人に占拠され、破壊された.
シルミウム生まれのローマ皇帝は6名いる.
* デキウス(249年-251年)
* アウレリアヌス(270年-275年)
* プロブス(276年-282年)
地図 - シルミウム (Sremska Mitrovica)
地図
国 - セルビア
セルビアの国旗 |
同国は、嘗て存在したユーゴスラビアに属していた地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国家であった.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
RSD | セルビア・ディナール (Serbian dinar) | дин or din. | 2 |